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written by 西田真尋 for Service Area Web Friday -Track Back Special!
本日のお題
第76回「ブログを始めた動機」
そういうわけで当サイトについて書いてみようかと思う。
一種の覚え書きである。
・このサイトは個人のブログといささか趣が違ったりする。
僕自身もこことは別に個人のブログを持っているがそちらはもっぱら精神療養も兼ねた物である。要するに心の中で溜め込んでいる物をはき出すのがその主要な用となる。早い話が落書き帳の延長である。
・しかし、このサイトはその性格を持ちつつも役割において大いに異なる。なぜならここは程度の違いこそあれ「作品」を載せる場になっているためである。ライターが自分の腕試しに「作品」を載せる場。それが当サイトなのである。
・普通は「作品」を載せるブログもあるのだがそれは個人単位である。複数の人間が寄せ書きのように作品を載せるブログはそんなにないだろう。ここには2つの意志が存在していると僕自身は考えている。
・一つはここはブログであるが「雑誌」であるという意志である。
ここは雑誌なのである。日常において「作品」を掲載し読まれるための場所であろうとする意志である。ここで気兼ねは要らないのである。作品は無編集にて掲載されるルールである。勿論公序良俗などサーバー規制に引っかかる物は無理であるが(サイトが取り潰しにあうため)、そうでなければ内容は自由である。「雑誌」という物は本来はマーケティングの上で成立しているがこの「雑誌」にはそれがない。極めてカオスティックな編集方針でもある。
・二つ目はここは「批判」の場であるという意志である。
「批判」とは別に悪口を言うという意味ではない。比較や検討、批評の事を指す。作品の「批判」は同時に並べられるという行為によって成立している。そしてその上で見る人間に「批判」をゆだねるサイトである。そういう意味ではあえて語ろうとはしないので議論とは異なる。
・このサイトはブログの特性を最大限利用としてカオスティックに「作品」を晒すことを目的としている。その中で書き手自身も読み手も「作品」について思いを馳せられればいう事はない。
・これは現代のエンターテイメントビジネスにおけるマーケティングを元にして選択と集中を行い、過度にデコレーションされた作品群の発露とは一線を画する意図も持っている。ちなみに昨今のこの現象はビジネスとしては成功だが表現においてはマイナスでしかない。
・なぜかといえば選択と集中の結果、排除の論理が成立するため作品の傾向が画一化し「商品」は売れても新しい感覚は排除されている現象が生じている可能性が高いからである。ヒット作を選別するのは読み手でも書き手でもなく広告代理店や出版社の一部の人間である。それはダイナミズムの喪失につながり表現は縮小再生産で窒息する。
・価値観の多様化とメディアの多極化の時代で表現が表現であり続けるには作り手自身がもっと思索を深める必要がある。これは作り手自身の問題であり他人から教授される物ではない。自ら選び掴もうとするしかないのである。
・このサイトは一つのキッカケである。
「作品」を並べ続けそれを眺める事での思索への第一歩である。この思索は参加する事によってさらに深まる物でもある。
・興味のある方はトップのメルアドから当サイトに一報をもらえたら幸いである。門はいつも開きっぱなしだし。
・気が付けば宣伝になっているのである。何ともはや。
本日のお題
第76回「ブログを始めた動機」
そういうわけで当サイトについて書いてみようかと思う。
一種の覚え書きである。
・このサイトは個人のブログといささか趣が違ったりする。
僕自身もこことは別に個人のブログを持っているがそちらはもっぱら精神療養も兼ねた物である。要するに心の中で溜め込んでいる物をはき出すのがその主要な用となる。早い話が落書き帳の延長である。
・しかし、このサイトはその性格を持ちつつも役割において大いに異なる。なぜならここは程度の違いこそあれ「作品」を載せる場になっているためである。ライターが自分の腕試しに「作品」を載せる場。それが当サイトなのである。
・普通は「作品」を載せるブログもあるのだがそれは個人単位である。複数の人間が寄せ書きのように作品を載せるブログはそんなにないだろう。ここには2つの意志が存在していると僕自身は考えている。
・一つはここはブログであるが「雑誌」であるという意志である。
ここは雑誌なのである。日常において「作品」を掲載し読まれるための場所であろうとする意志である。ここで気兼ねは要らないのである。作品は無編集にて掲載されるルールである。勿論公序良俗などサーバー規制に引っかかる物は無理であるが(サイトが取り潰しにあうため)、そうでなければ内容は自由である。「雑誌」という物は本来はマーケティングの上で成立しているがこの「雑誌」にはそれがない。極めてカオスティックな編集方針でもある。
・二つ目はここは「批判」の場であるという意志である。
「批判」とは別に悪口を言うという意味ではない。比較や検討、批評の事を指す。作品の「批判」は同時に並べられるという行為によって成立している。そしてその上で見る人間に「批判」をゆだねるサイトである。そういう意味ではあえて語ろうとはしないので議論とは異なる。
・このサイトはブログの特性を最大限利用としてカオスティックに「作品」を晒すことを目的としている。その中で書き手自身も読み手も「作品」について思いを馳せられればいう事はない。
・これは現代のエンターテイメントビジネスにおけるマーケティングを元にして選択と集中を行い、過度にデコレーションされた作品群の発露とは一線を画する意図も持っている。ちなみに昨今のこの現象はビジネスとしては成功だが表現においてはマイナスでしかない。
・なぜかといえば選択と集中の結果、排除の論理が成立するため作品の傾向が画一化し「商品」は売れても新しい感覚は排除されている現象が生じている可能性が高いからである。ヒット作を選別するのは読み手でも書き手でもなく広告代理店や出版社の一部の人間である。それはダイナミズムの喪失につながり表現は縮小再生産で窒息する。
・価値観の多様化とメディアの多極化の時代で表現が表現であり続けるには作り手自身がもっと思索を深める必要がある。これは作り手自身の問題であり他人から教授される物ではない。自ら選び掴もうとするしかないのである。
・このサイトは一つのキッカケである。
「作品」を並べ続けそれを眺める事での思索への第一歩である。この思索は参加する事によってさらに深まる物でもある。
・興味のある方はトップのメルアドから当サイトに一報をもらえたら幸いである。門はいつも開きっぱなしだし。
・気が付けば宣伝になっているのである。何ともはや。

